インド哲学と私

 私は、いつの頃からか、インド哲学に興味を持っていました。今、過去を遡って考えてみますに、サイババの教えを知る以前から、ウパニシャッドなどのインド聖典に興味を持って読んでいたと思います。おそらく、佐保田鶴治の「ウパニシャッド」「ヨーガ根本教典」、辻直四郎の「バガヴァッド・ギーター」など、初期の私の思想に大きな影響を与えました。私の頭は、インド哲学になりました。

 インド哲学は、すべての宗教、すべての思想を包容します。すべての宗教の母であるヒンドゥー教は、すべては一つであることを教えます。不二一元論は、すべてのものが目指すゴールです。サイババの教えは、このインド哲学そのものです。サイババは、その一つのものを「神」と言ったり「愛」と言ったりしますが、同じものです。その愛そのものが、サイババとして化身しました。

 「自分とは何か」これが、私の探求でした。自分というものが、よく分かりませんでした。この「自分とは何か」という問いは、おそらく高校生の頃からありました。この多感な時期に、自己探求は始まりました。ラマナ・マハルシが、「私は誰か」と問うことを勧めていますが、これがすべての始まりであること、それを知らない間に、探求し始めていたことも、私にとって幸いでした。

daivamprema

2021.1.14