不思議なこと

 不思議なことといえば、やはり、サティヤ サイババが神の化身として顕現されたことでありますが、もっと不思議なことは、その神の化身に、多くの人が気がつかないということです。

 神様が人の姿でお現れになることの、いかに稀なことであることか。前回は、約5000年以上前に、クリシュナとして顕現なされました。あれから、神の名前は忘れられるどころか、インドの人で知らない人はいません。それより遥か以前のラーマも、名前は永遠の言霊のように残っています。

 神の名前は永遠です。地球に10の惑星があるように、神も10回、化身したとされているけれども、実際は、何回も何回も化身されたに違いありません。私たちが知らないだけで、無数の化身、アヴァターがいたに違いないのです。

 神の化身は、ユガごとに現れるそうです。この度は、一度に三回も化身されるということで、とても吉祥な時に、私たちは生きているのですね。いわば、地球としては緊急事態なわけです。世界の母が、自らお越しになったわけですから。この緊急事態に感謝です。

 神の化身が現れたにもかかわらず、人々はそれが本物であると信じません。それどころか、別の陳腐な預言者もどきに騙されます。あるいは、かれを手品師と嘲ります。真偽を見分ける力を持ちません。ほんの一握りの人だけが、本物だと気づきます。

 私がかれを、本物の神の化身であると気づかされたのは、やはり実際にホワイトフィールドに行き、この目で見て、さらに間近に見て体験もしたからです。しかし、若い人で、一度も会っていないのに、信じることのできる敬虔な人もいて、驚きます。

 祖父か父母に敬虔な信者がいて、知るようになった人もいます。あるいは、書物からのみの知識で、信仰を得た人もいらっしゃるかもしれません。本当に奇跡です。

 私は、本当に神の化身ならば、実際にこの目で見なければと、はるばるインドに旅行しました。そして、1回では飽きたらず、10回以上、インドに行きました。今思うと、行った回数よりも、いかに変容したかが重要でした。その点から言うと、私は、劣等生です。

 何のために何回も神の化身の所に行ったのか。おそらく、神様は私が、一回や二回ではダメな状態に戻ってしまうから、何回も霊性の病院に連れてきたのだろうと思います。神の業は巧妙で、私の理解を超えています。私の将来に、必ずその結果が表れるものと思います。

 その旅先で出逢ったYさんは、今は霊性の親友です。北海道の富良野に住まれ、今頃は、マイナス20度の世界にいることでしょう。あちらは、マイナスを付けないそうです。マイナス15度なら、15度と言います。マイナス20度なら、20度と言います。マイナスは当たり前の世界です。
 
 結局、自分と神様との関係なので、人は関係なく、自分がじっくりと神との関係を深めていく作業が大切だと思います。富良野の彼は、それを実践して見せてくれる、私にとってのお手本のような人です。

 彼のエピソードを一つお話します。インドのサイババの旅先で、アシュラムの宿泊施設で同じ部屋になったのですが、それで仲良くなった私たちは、暑いインドの部屋で、霊的な話も互いにしあいました。または、普通の生活においても、感化されました。

 まず、彼はプラシャンティ ニラヤムの宿泊施設の部屋に初めて入ると、床を雑巾で拭き初めました。部屋を使わせていただく前の感謝の意味でした。もちろん、最後の日に部屋を去る前も、拭き清めました。

 そんな彼ですが、ある日、一緒にダルシャンに行った時のこと。ダルシャンホールに入って座ると、だいぶんしてから、やっとスワミが現れました。私は、前の人の頭の間から覗き込むように、歩いてくるサイババを見ました。ステージまで行くと、椅子に座ります。

 私の座った席は、ちょうど大きな柱があり、見えませんでした。すると、富良野の彼は私に、こっちからだと見えると言って、席を代わってくれました。ただでさえ、自分も見たかったでしょうに、一度見ると満足し、見えない私と席を代わってくれたのです。その限りない優しさは、今でも忘れることができません。

 そんな数々の思い出を心に刻んで、私は、これからも歩んでいきます。このブログに親しんで下さる方があるので、私は、ブログを書き続けることができます。いつもありがとうございます。

daivamprema

2021.1.11