年明けに思う

 新しい年が明けて、はや、9日となった。年明けに思うことは、まず、今年が母の七回忌の年であるということ。早いものである。

 母が入院していたとき、泊まり込みで病室にいた。7年前、正月も病室で迎えた。思い出したら、いろんなことが浮かんでくる。母は、最後には声も出せなくなっていた。時折、足をもんであげたりした。CDラジカセで、CDを聞かせた。しかし、実際、今思うと、母は、何かを僕に告げたかったに違いない。しかし、声を出せないので、意思を伝えることは困難だった。

 医大の病院の外庭から、紅葉の落ち葉を拾ってきてあげたり、暇なときは、病院内の売店から、手作りできるキットを買ってきて、小さい紙製のタンスとか、紙製のストラップとか作った。

 ある時、分かりにくい声だったけど、母が「パソコン」って言ったように聞こえた。そのとき意味は分からなかったけど、今思えば、パソコンを使って、意思の疎通ができるという意味だったかもしれないと、今さらながら思う。

 五十音の書いた下敷きでもあれば、指を指して、言いたいことを理解できたかもしれないと思ったり、後悔は先に立たずであった。

 春が近づいて、桜の季節に合わせて、母は亡くなった。車椅子での花見もできなかった。葬儀の日に、まだ近くでは咲かない桜の枝を、車で遠路、垂れ桜の有名なお寺さんからもらって帰った。そして、それを葬儀の日にお供えした。

 そうだ、今年の七回忌の法要でも、同じように、そのお寺まで足を伸ばして、垂れ桜の枝をもらって来ようかな。そのお寺には、立派な垂れ桜が境内にある。

daivamprema

2021.1.9