すべてのものの内に神を見ること

 さて、この度は大変な雪に見舞われました。また、以前と衰えを見せない新型コロナウイルス。しかし、これらの一見、良からぬ出来事の中にさえ、神のご意思は反映されているわけです。神の意思なく、何事も起こり得ないのです。

 「すべての出来事は、私たちにとって、良いことのために起こっているのだ」と信じることが大切です。厳しい冬があるのは、暖かな芽吹きの春を迎えるためです。厳しい夏の暑さがあるのは、心地よい秋の風を感じるためです。大変さを味わわなければ、逆の側面である幸福感を味わうことはできません。

 恐らく、私が生暖かい風が好きなのは、常日頃の気候や生活に耐えていて、ふと緊張が緩んで、とても穏やかな気持ちになるからかもしれない。あるいは、少年の頃の、同じような気候の記憶がよみがえったのかもしれないが。だから、小春日和の暖かい気候も好きです。

 すべては、神の愛なんだなぁ、と思う。だって、重力ひとつとってみたって、神の愛だと思う。重力がなかったら、地球の地面から宇宙に投げ出されてしまうでしょう。四季があるのも、神の愛。四季がなかったら、植物も樹木も、満足に育たないと思う。

 すべての事象が、神の意思のもとに調和を保って起こっている。その全体を感じることは、神を感じるのと同じです。ブラフマンの様相は、このように調和的です。すべては一つであるという意味は、この全体調和をいうのだろうと思う。たとえ事象は様々に見えようとも、神の原理という目からみれば、すべては一つなのです。

 長い年月をかけて形成される鍾乳洞も神の技であるなら、今、雨を降らせるのも、夜に星を見せるのも、月に満ち欠けが観測できるのも、みんな、神の技、神の設計なのですね。ありがたいことです。

daivamprema

2021.1.3